新潮社は自己ブランドをどう考えているのか?
こんにちは😃きりりです。
この新潮社に対するブランド戦略について構想をまとめ出したのは、社長の文章、謝罪文とも言えない、が公表されて、余りに稚拙な内容であったため、とてもペンで戦う会社であると思えなかったからであります。
刻々と事態は変化して、あっという間に、新潮45は休刊になってしまった。
🔹新潮社の歴史から考える
創業は1896年、非上場の佐藤家オーナーカンパニーである。出版社にはありがちの形態で、確かに独立性を貫くために株主に対し遍く必要もないため、資金的に窮しなければ、このような形のカンパニーが出版ではまともかと思う。
創業当時は田山花袋などの自然主義の純文学を扱っていたと、沿革には書かれている。
🔹本当に出版不況の影響なのか?
そう、昔はぶいぶい言っていた職業の一つ、テレビ、新聞、出版社。
会社のお金で飲み食いして、まあ、大作家先生のご接待ついでですからね、お金も持ってました。
しかし、世界は容赦なく変わるわけで、例えば昔ランプ屋さんだったお店は、電気化する中で、業態転換か、廃業を迫られたわけです。同じことです。
まあだから新潮社に限らず、どこの出版社も同じような状況にあるわけです。
ではなぜ新潮45はあのような、申し訳ないが、非常識な、しかも比較的社会的弱者であるはずの女性が書いた論文、という体裁もない、雑文を掲載するだけでなく、それを擁護する、論理性のかけらもない論文を再掲載したのか?
バッサリ、信念がないから、志がないから
に過ぎません。
創業の心を忘れたのか?
100歩譲って、多様な意見を載せる、そこまではいいでしょう。だけど大出版社が社会的弱者を切り捨てるような行為を繰り返すことは、断じて許されないはずです。
ネトウヨが増えてるから、そのニーズに合わせたなど、聞く価値もなしです。
🔹文芸部だ、作家だと言うが…
確かに会社の中で、反勢力的行動をとることは勇気のあることです。また、作家の方々が不掲載運動や、批判を繰り返したことも社会的影響が大きいことだろうと、きりりも思います。
でも普通に本好きな、きりりのような普通人にとって、文芸部だろうがなんだろうが関係ないんです。
新潮社がやったことが、許せないし、買う気が失せるわけです。
やったことは、業態変換の努力をしない、人のニーズが変わったことに責任をなすりつけている、そして全く道徳的にも許されない論文を複数回に渡って掲載したこと
これにつきます。
🔹今後もワッチする必要ありだよ
新潮社の最近の手口は、売れなくなると休刊にし、こっそりまた、再刊することです。
今回の休刊も怪しいなあ。
読者を甘く見下しているよね。
きりりは意外とこれが、かつての雪印のようになっていくのではないか、と思うのです。
ブランドは失墜し、信頼も無くなり、リアルフェイク出版社というブランド属性が付き、普通の社員が路頭に迷わないことを祈るばかりです。
ま、オーナーは神楽坂付近の土地持ちだから心配ないし、無責任なのかもね〜〜
ではまたね〜〜