日本は民主主義国家の道を外れるのか
こんにちは、きりりです。
文化庁が愛知トリエンナーレの交付金を支給しない、という前代未聞の決定をしたと、新文部大臣、もりかけさんが、インタビューにこたえてました。
こんなことってあるんでしょうかね
🔹国の交付金の申請と審査
きりりは、この特に文化庁の交付金の申請方法などについては、友人がアート関係にも多くいるのでよく知っています。
大抵の場合は新年度になる前に、各省庁のホームページにこんな交付金あるよというお知らせが出ます。
なんだか長ったらしい申請書があり、そこに目的やら、どうしてこの交付金をもらうのか、また、最低限の資格要件が掲載されているので、そこにきちんと満たせる要件があるか、また、申請するコンテンツについての概要などを記載します。
🔹近年の自治体アートブーム
そう、近年の地方創生で、瀬戸内のベネッセがやり始めた芸術祭が、地域の活性化、観光資源化に、非常に貢献したため、目白押しで各地がアートが何なのかよくわからないまま、申請数だけ増えているらしいと、聞きました。
あまりに多い場合は、当然文化庁以外の人たちで構成する、審議委員会なるものがあるわけですが、そこで読み込んで議論するだけでなく、場合によっては、プレゼンテーションなどをやる場合もあるわけです。
その上で、交付金の種類にもよりますが、総事業の半分ないしは3分の2以内の交付金決定がなされ、翌年度実施される事業への補填となるわけです。
🔹審議委員会の顔が見えない決定
だから、今回の場合も、審議委員がきちんと議論して決めているわけで、その交付を所管省の大臣だけが出てきて交付しない!
という決定はプロセスとしておかしいのです。
きりりは津田某の展示の内容が好きか嫌いかと言ったら、嫌いです。こんな内容ならば、国の金など使わないでやればいいと、ブログでも書かせて頂きました。
でも民主主義国家においては、審議委員を通して決めたものを
独裁者の如きに、一刀両断に斬りつけることはできないのです。
審議委員の方々は何も申さないのでしょうか?
ましてや今の文化庁長官は、日本の芸術の最高学府であるところの元学長です。
この決定に、芸術やアートに関わっている方々は憤死してもいいくらいの話であるはず。
🔹ものが言えない社会は、民主主義ではない
百歩引いて考えれば、言論の機会を奪われているか、生死与奪権をなんらかの形で奪われているのかもしれないですね。
アートそのものの好き嫌いはあっても、そのプロセスを無視し、口を閉ざさせるというのは、怖〜い社会に入り出している、証ではないかなあ。
これ以外にも偉い方が、その件はお友達だから何も言えないとか、一瞬ボケたと思いましたよ、賄賂もらって自宅に一時保管していただけ、とか、一体日本はどこに行くのでしょう。
怖いですね。遥かに香港の方が目指す先がお互いわかっている分健全に思えてしまう。
少し民主主義とは?考えてみませんか?
ではまたね〜〜